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時代とともに変わるスポーツとメディア

スポーツと興業。そして報道とエンタテインメント。
本来どちらも表裏一体であり、二律背反である。しかし
現実には、その境界線は非常にあいまいだ。先週末から
大騒ぎだった亀田事件が、東京運動記者クラブでの会見で
一応謝罪がなされた。この対極がゴルフの石川遼選手に
対するワイドショーの過剰取材だったといえるだろう。
興業が報道にすり寄って幕引きをしようと画策したのと、
エンタテインメントがスポーツに寄ってたかった例である。
スポーツ中継がショーアップされることで、アスリートが
注目されることは決して悪い事ではない。しかしそこから
タレントとアスリートが混同されはじめた。スポーツ・
エンタテインメントというジャンルが確立されたのは、
つまらないタレントに飽きた視聴者の自然な欲求であろう。
しかし試合という一瞬の結果のために、日夜研鑽していて
そしてもともとメディア向きではないアスリートも多い。
そうかと思えば、興業の要素が強かった大相撲や格闘技が、
スポーツへと昇華し、型破りなスターがもてはやされた。
日本の社会では、記者クラブに所属していなければ取材
できない場所が多いのだが、スポーツに関してはかなり
メディアには寛大である。興業的により成功させるため、
協力が必要だからだ。もちろん取材ルールを守る、という
大原則はあるが、興業を報道するというスタンスを失って
しまっては、何のためのメディアなのだろうか。世界陸上、
朝青龍、世界柔道、相撲の杉山さんの取材パス問題、女子
ゴルフの上田桃子選手の発言、時津風部屋、亀田一家。
もう一度根底から考えなければならない時期にあるという
ことではないだろうか。もちろん競馬だって例外ではない。

【エセアスリートの日課】

バイク 20km
スイム 1000m

【肝硬変への道】

Ravenswood Merlot '04(ナパ)

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Comments

先週、ブリヂストンオープン取材へ行って、
まだあどけなさの残る石川遼くんを見てきました。
テレビ画面を通してみるよりよほど子供らしい、あどけない顔をしていましたが、予選初日にもかかわらず一番多くのギャラリーを引き連れてのラウンド。なんだかまだ薄い胸板が目立ちました。
近くにいたお父さんの体つきをみると、痩せ型ですが、まだ上には伸びそうだなと思いました。
しかし高校生にしてあの態度、発言は立派ですが、彼の人気牽引に頼らざるを得ない男子プロの実態も悲しい。
いい男も、実力派もいるんですけど、スターというのはなかなか出ませんね。

Posted by: 水晶 | October 23, 2007 07:17 AM

水晶さん

誰かがスポーツにスターを求め、そのギャップに際して叩くのを
「過食症患者の拒食症」と表現していたのは、いい得て妙です。
一日にしてスターは出現せず。じっくりと取材していくうちに
実力と人気も兼ね備えたアスリートが生まれるわけです。
石川遼選手は、実力未だしですが、大きな可能性を持っている
ことは事実のようで、周囲からそんな話をしょっちゅう聞きます。

Posted by: 入江たのし | October 25, 2007 07:23 AM

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