« May 2010 | Main | July 2010 »

June 2010

「ラジオと地域情報メディアの今後に関する 研究会」第10回

【ラジオデイズ】
この時期だけのにわかサッカー・ファンだけに
W杯でのレベルの高い試合の数々に触れて、
ブログ更新がおろそかになっていた。さて、
「ラジオと地域情報メディアの今後に関する
研究会」もいよいよ大詰めを迎えた。膨大な
報告書案ができ上がり、来週の月曜日で
最終版を提出し、いよいよお開きとなる。
寄せられたパブリック・コメントの中でも、
反響が大きいと思われるものに対する審議が
今日の研究会の議題で、大きくは論点が4つ。
1 三大都市圏における県域放送の扱い
2 音声優先セグメント参入への条件
3 ソフト事業者の参入単位
4 V-Lowの海外展開
なかでも2の具体的条件において、自社制作
比率が50%を超えること、という部分に対し
数値の根拠などを含め、予想通り議論になる。
地方ローカルの経済状況において、一部では
50%という数字のハードルが高いのは理解
できる。だからといって、やはり半分以上の
番組が、東京の情報になっているという事で
本当に地域情報メディアといえるのだろうか。
恐らく現状の音声のみのアナログ放送を考える
場合に、その制作体制も含めたあり方で、
更に自社制作比率を上げる事は困難だろう。
もちろん自社比率の定義をどう考えるかという
共同制作でクリアするとか、テクニック的な
抜け道があるかも知れない。しかしながら
そもそもデジタル化後の番組のあり方は、
現状と全く同じではない。お金を使わずに
知恵を使う事で、ラジオは困難を乗り越えて
きた。オーディエンス・セグメンテーション
という時間帯別に聴取者を想定した番組編成は、
テレビの出現によって、ラジオの媒体価値が
下がった50年前の、起死回生の発明だった。
デジタル化によってスタジオ映像を送るとか、
楽曲情報が流れるなどではなく、新しい形の
地域密着型ビジネスモデルを考えなければ、
このままではラジオは不要のものになると思う。
制度の問題ではなく、ラジオの将来を真剣に
考えるべき時に、自ら課す目標を下げたのでは
起死回生のアイデアは出てこないだろう。

| | Comments (0)

「お肉、万歳!」

【ステーキは素敵だ】
世界三大ステーキはアメリカとアルゼンチン、そして
イタリアのフィレンツェだと信じて疑わない私だが、
今回訪問はフィレンツェ郊外のパンツァーノ・イン・
キャンティにある”Antica Macelleria Cecchini”。
直訳するとチェッキーニさんの昔からの肉屋さん。
1階はキアナ牛の肉の売店であるが、2階にあがると
リストランテなのである。水曜日以外の毎日1回だけ
ステーキ三昧コースがあるので、現地に住む知人に
頼んで予約をしてもらう。実はメニューは一通りで、
80人くらいのお客さんが全員揃って食事がはじまる。
寿司デルキャンティという名の「タルタル」に始まり
リブアイ、パンツァネーゼ(尻の部分)そして最後に
T-ボーンまで、まるで給食のように肉が配給されて、
肉食老若男女が、一心不乱に食らいつく事3時間。
ワインやパンやスープなどのサイドディッシュと、
デザート、食後酒もちろん飲み放題で食べ放題である。
店主のダリオ・チェッキーニさんは、狂牛病の時代、
骨付き肉が食べられなくなった時に、T-ボーンの
お葬式をしたという肉に対する愛情があふれる人。
肉が焼き上がった時に従業員全員を紹介するという
大プレゼンテーションをはじめ、一緒に写真に納まる
サービスのため、テーブルをまわるマメな一面も。
日本から修行に来ていたタケウチユウスケくんが、
東京郊外で店を出すんだよ、と教えてくれながら、
ハイチーズのかわりに、タイトルの一言で日本人は
破顔一笑である。20日以上の熟成と、灰をかけつつ
火の勢いを調節する焼き具合はまた、どこにもない
味わい深い。エノテカ・ピンキオーリの本店なんか
行っている場合ではない。

【肝硬変への道】
Vecchia Cantina ‘07(トスカナ)
Vino Nobile Di Montepulciano

【エセアスリートの日課】
ラン 5km

| | Comments (0)

災い転じて福となす

野球の試合で完全試合がかかった9回2アウト。
27人目のバッターをファーストゴロに討ち取り
クロスプレーでそれを内野安打と塁審が判断。
結果はただの1安打完封勝利となったものの、
ビデオを見た塁審が、それを誤審と認めて後で
ピッチャーに謝罪したとする。
日本ならばテレビニュースで各局がその模様を
流して審判の責任を問い、コメンテーターが
ジャッジの技術云々をメジャーと比較したりし
抗議する監督や選手の声を擁護して、何だか
後味が悪い決着になるだろうと推測する。
実際にこの事件はおととい起こったのである
米大リーグのタイガースとインディアンスの試合。
タイガースのアルマンド・ガララーガ投手が
その「被害者」だったのだ。しかしメディアは
冷静にこれを報じ「ジャッジを尊重する」原則を
崩さず、ガララーガ投手も「誰も完璧じゃない」
と事実を受け入れたのである。驚くべき事に
このフェアプレー精神を称えてゼネラル・
モータースが彼にコルベットをプレゼントした。
よく考えて見よう。正しいか間違いかではない。
記録は覆らないが、審判は過ちを認めて、選手が
これを受け入れ、見事なプロモーションとして、
結果は誰も傷つく事なく、記憶に残る。テレビが
大人の対応をとることで、みんなが得をする。
そんなマーケティングがあるアメリカという国は、
やはり奥が深いと考えさせられた。
Galarraga02


| | Comments (0)

御礼! 第47回ギャラクシー賞贈賞式

【ラジオデイズ】
担当している番組「JK Radio〜Tokyo United〜」が
ギャラクシー賞のラジオ部門大賞を受賞した。
去年の6月のマイケル・ジャクソンが亡くなった
当日の生放送の機敏な対応を評価されての事である。
正直なところ、録音構成の力作ぞろいの中で、
太刀打ちできると思っていなかった。普段の放送で
たまたま起こった「事件」がタイミングよく
放送時間に収まったという事が大きい。たとえば
あと1日早くても、5時間早くても、あの番組は
できなかったのだから。自分が渾身の取材をして
毎晩徹夜で煮詰めて、これでよしとリリースした
「作品」を作る立場なら、「運が良かっただけ」
じゃないかと思うかも知れない。今のラジオは
生ワイドが中心である。勝てば官軍ではないが、
いつ何時降りかかってくるアクシデントに対して
リスナーと共にその現実を受け入れながら、
柔軟に中身を変える事が出来るのがラジオだ。
だからラジオに対する、審査員のメッセージだ
と受け止めたい。そして今週も来週もある番組で
「大賞を取ったのに聴いてみたらつまらない」
などと言われないように、更なる努力をしないと
いけないと、その「果実」の重みを受け止めている。
とにかくスタッフ全員が一丸となってベストを
追い求めてくれる、身内にまずは感謝したい。

| | Comments (2)

首相辞任に思う

【ラジオデイズ】
政治を語る柄ではないが、政治を語るメディアには
注視していたい。おそらく鳩山首相と小沢幹事長の
「政治とカネ」問題が出てからというもの、政権を
擁護し続けたメディアは「日刊ゲンダイ」のみだろう。
巨悪を暴き、政権の暴走を監視するのがメディアの
使命である、というのは原理原則なのは百も承知。
長年続く自民党政権の時にはその理屈でよかった。
それを追い落とす前に「シャドウキャビネット」を
建てていても、やはり野党と与党では立場が違う。
そこを従来通りの正義感で引きずり下ろすならば、
どうして小泉内閣の大きな矛盾に目をつぶったのか。
また石原都政のレイムダックに苦言を呈さないのか。
基地の是非を根本的に問う事も、対案を出す事もない
ままに、普天間基地移設問題を「首相の言葉が軽い」
ですませてしまい、八ッ場ダム問題を長引かせて
きたのは、全てのメディアが同じ論調だったから
ではないだろうか。この国の不幸は首相が替わる
という事ではない。テレビの立ち位置が宙に浮き、
多様な議論を経た上での世論を醸成できない事だ。

| | Comments (0)

« May 2010 | Main | July 2010 »