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March 2013

21年目のありがとう(続き3)

【ラジオデイズ】

せっかく元麻布に店があるのだから、仙台坂を
下りた麻布十番のお祭りに参加したら、という
スタッフの提案で、麻布十番商店街振興組合の
親類縁者を頼って、出店を出すことになった。
もちろん麻布十番祭りは、商店街のお祭りだ。
つまり近隣とは言え、麻布十番にお店を構えて
いない店はあまりない。そこでパティオ十番の
近くのとあるお店の軒先を借りての営業という
スタイルではじめたのだ。メニューは夏だから
ハーゲンダッツのアイスクリームという結論に。
そして祭りが始まった。しかし毎日天気が悪く、
雨まで降ったりして、誰も買ってくれないのだ。
声を枯らして呼び込むかわいい女のコの売り子、
それを遠巻きに腕組みをしながら眺める関係者、
そんな構図では、お客さんは寄ってこない。
たまに立ち止まり、稀に購入する人がいると、
一同大拍手、とくるものだから異様な光景だ。
番組は2年目の94年。ようやく軌道に乗って
きたのに、大赤字で麻布十番祭りのイベントを
終え、一同がっくり。秋風が身にしみた。

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第43回高松宮記念大予想

【零細馬主で馬券下手】

いよいよ本格的なG1シリーズの開幕。春爛漫だ。
前日売りではロードカナロアが断然の1番人気だ。
秋からの充実ぶりはものすごく、スプリンターS
はもちろん圧巻が香港スプリント。基本的にこの
レースは日本馬の出る幕はなく、ビリーヴや、
サニングデール、アドマイヤマックス、ローレル
ゲレイロなどこのレースの勝馬が挑んでも全く
相手にならない世界最高峰のスプリント戦だ。
しかし居並ぶ強敵をねじ伏せたのは王者の証明。
14戦13連対で唯一の3着が去年のこのレース、
ともいえるけれど、古馬初挑戦の馬は過去10年
高松宮記念では勝っていないのだから問題ない。
相手をひねってしかも絞らなければなるまい。
連勝中のサクラゴスペルは外せないと考える。
4歳牝馬エピセアロームは、なかなかの逸材、
スギノエンデバーもこの距離では侮れない。
穴では暖かくなり馬体が戻っていれば面白い
アドマイヤセプターの逃げ粘り。
ロードカナロア1着づけ1頭軸の3連単で勝負。

【エセアスリートの日課】
スイム 2000m
200m個人メドレーでギリギリ3分58秒。

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21年間分のありがとう(続々)

【ラジオデイズ】
「AVANTI」開始当初の主な登場人物を整理しよう。
※ジェイク 「AVANTI」のウェイティングバーを
任されているイタリア系アメリカ人バーテンダー。
サックスも玄人はだしの腕前。
※わたし 番組の進行役を務める常連の紳士。
近隣の老舗の和菓子屋の次男坊で某女子大り仏文科
の教授。離婚歴あり。
※祥子 映画配給会社の宣伝ウーマン。フリーの
エディターでもある。3人姉妹の真ん中で独身。
海外帰国子女。趣味のよい両親の教育の賜物で、
エンタテインメントを見る目は確か。
※板倉 某機械工作メーカーのエンジニア。
双子の弟と、妹が一人いる。海外勤務経験があり
祥子に恋している。
※取手 バーの常連からの嫌われ者だが、本人は
全く気付いていない。
「取手さんにはまったく困ったものですねぇ」
という、紳士のいつものセリフは、自然な形で
AVANTIのバーがある種のステイタスがある場所
ということを説明していたといえるだろう。
まだ当時は「元麻布から生放送をしている」と
思っていたリスナーも多かったのだけれど、
一貫して、AVANTIのお店で収録している。
しかしコニサー達の話をTOKYO FMのスタジオで
公開収録をし、バーテンダー、ジェイクの
サックスのライヴをやったりもした。
94年春、CDが発売されたことで、AVANTIが
いよいよ世に知れ渡ることになったのだけれど
そこでひょんな事から麻布十番祭りに参加する
ということになったのである。

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21年間分のありがとう(続編)

【ラジオデイズ】

 最近競馬のG1予想ばかり書いていて、すっかり
本業のトピックを書いていなかったのだけれど、
土曜日にものすごいアクセスをいただいたので、
調子に乗って「AVANTI」の事をまた記したい。
番組開始前と、開始当初はまだニッポン放送に
在籍していたので、この番組の成立経緯について
殆ど知らなかったし、知る由もなかった。
「サントリー・サウンド・マーケット」という
FM東京の名物番組の終了に伴って、プレゼンされ
元麻布にあるレストランのウェイティング・バー
を舞台にした、お酒を飲みたくなるようなラジオ
番組という説明を、代理店の知人から受けたのは、
退職の辞令をもらったばかりの92年の7月のこと。
アドバイザーとして加わって欲しいと依頼された。
ただし当時の番組は、今とは違ってたくさんの
「コニサー」と呼ばれる、市井の人々がバーに
やってきては、バカ話をしていくというもの。
「誰にでもひとつは、人に語る事ができる、
持ちネタがある」という主義で、オンエアで使う
使わないは別として、とにかく沢山の人が来た。
またストーリーの中心は毎週やってくる紳士の他、
バーカウンターで展開する男女のラヴストーリー。
ちょっと複雑な構成といえただろう。
しばらくその収録に付き合い、友人や知人をその
カウンターでのバカ話に参加してもらううち、
本当に面白いのは「お客さんトークそのもの」
だと気がついた。まだ聴取率では低迷していた、
開始当初のAVANTIの開始から1年めの93年4月。
ラヴストーリーは終焉、番組の大きな変革期を
迎える事になる。「コニサー」の精度を上げて
スタッフが総力でブッキングする、週替わりの
テーマを設定する、そしてバーでのショート・
コントを交える、いう現在のスタイルが完成。
「聞き耳をたてる番組」というコンセプトが、
ようやく一般に認知されるようになっていった。
そしてAVANTIから、初めてのCDが発売される
ことになったのが94年4月で番組開始から2年。
最初のオリジナルのテーマ曲の収録がTOKYO FMの
レコーディング・スタジオで行われ、EMI音源の
コンピレーションCDができ上がったのである。
これはAVANTIがはじめてビジュアライズされた
記念碑といえる「モノ」であろう。

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21年間分のありがとう

【ラジオデイズ】

 ニッポン放送の社員を辞めて以来20年以上携った
一社提供の全国フルネット番組「Suntory Saturday
Waiting Bar AVANTI」の終了が公になった。
こうしたゴージャスで「どうやって作っているのか」
「同じような番組を作りたい」とプロのクリエイターに
声をかけてもらう番組は、なかなか現れないだろう。
またボクにとっても、番組の聞き役という、ある種の
インタビューアー的な立ち位置も経験する事が出来て
たくさんのユニークで、興味深いエピソードを聴く、
という機会に恵まれたうえ、スタッフの一人として、
そして出演者のはしくれとしてとても勉強になった。
「生・ワイド・パーソナリティ」が王道のラジオ番組
という方程式に「録音・箱番組・ゲストが主役」と
真逆の設定で挑んだ、というのは後付けの理屈だが、
それだからこそ特徴的で、真似されるような番組に
なったのではないかといえるだろう。
大きな時代の変革期が到来した、という気がするが、
何はともあれ長年支えていただいたサントリーさんに
感謝したい。

【エセアスリートの日課】
スイム 2100m

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ラジオの2013年3月問題

【ラジオデイズ】

テレビのデジタル化によるいわゆる「跡地問題」で、
アナログテレビ時代の1〜3ch、世界的にFMラジオに
割り当てられている「V-low帯」をどのように使うか、
という議論が何年経ってもまとまらない。
問題が複雑になったのは、媒体としてのラジオの
ビジネスモデルが変わりつつある時期にあたること。
マーケットの縮小はリーマンショックや震災が原因
ではなく、構造的なものであるからに他ならない。
そしてもう一つの要因は免許事業として認可する側の
総務省はもちろん、NHK、ラテ兼営局のAM局、
ネットワークに属するFM局、独立系のラジオ局、
また経営規模と資金力では県域局とは競争にならない
コミュニティFM局のいずれにも将来のビジョンが
明確に見えていないからである。
僕自身としては、2009年12月の「月刊民放」では、
難聴対策と送信所老朽化による設備更新問題でAM局の
V-low帯のFMへの移転を唱え、その方式はデジタルも
アナログも同じ周波数で放送可能なIBOC方式が適当だ
とした。2010年の「ラジオと地域情報メディアの
今後に関する研究会」の構成員としては、デジタル
ラジオの事業者は上下分離、すなわち送信設備に関して
ラジオ局が負担せず、番組の制作に専念し、災害対策も
含めてローカル・メディアとして生き残っていく事が、
ラジオ局が生き残っていく道筋だ、という結論を
メンバーとまとめた。ただその際のデジタルの方式に
ついては、日本のモバイル・デジタル放送の基準である、
ワンセグを中心という「妥協」をした。ラジオという
インフラの姿を保つための「延命策」を考えた結論だ。
 今年になって総務省では「放送ネットワークの強靭化に
関する検討会」を開催し、これを機にニッポン放送と
エフエム東京でこの問題について、全く違うスタンスが
打ち出されている。デジタル化は見送ってアナログFMに
移転するというニッポン放送と、デジタルラジオ放送を
前倒しで推進するエフエム東京、という構図である。
だがどうにも腑に落ちないところがある。既に終了した
「デジタルラジオ実用化試験放送」の二の舞いなのか、
それともそこにすらたどり着けないのだろうか。そして
果たしてリスナーが享受するメリットは何なのだろうか。
 日本のラジオは海外のそれに比べて、ハード面における
コストがかかっていて、特にイニシャルの設備投資には
莫大なお金が投下される。それでもライバル・メディアが
ない時代には、十分リクープできたし、広告料金について
強気の価格設定を裏付ける「目に見える設備とプロの仕事」
があった。しかし放送局の機材こそ依然プロ仕様でも、
最近は収録などの制作や音源編集は個人が所有する
アマチュアも使う機材。番組制作に付帯するサイト更新など
作業量が飛躍的に増えても、制作費は減少し人員は削減され、
放送事故やクレームを綱渡りで回避している制作スタッフ。
これではリスナーの求める、さらなるクオリティが高い
番組作りは臨むべくもない。
 つまらないラジオ番組が高音質で聴けたり、陳腐な内容が
メタデータとして見る事ができて、リンクしていても、
スイッチを切られるだけである。とにかく面白い番組が
流れてこなければ、いかに高性能でもラジオはただの箱。
防災グッズとしても懐中電灯や乾パンと同じように
しまい込まれるだけだ。
 さてここでとどまるのか、前に進むのか。ラジオに
とってはいずれもイバラの道であることは間違いない。
しかし次なるビジョンを、もう一度ソフトの原点から考える
ことなくして、ラジオの将来はないと断言できる。
それでも「希望はあなたを捨てるのではありません。
あなたが希望を捨てたのです」という事だけは
ないようにしたいものだ。

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