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28年前の123便

28年前の今日も月曜日で暑い日だった。オールナイトニッポンの担当だった曜日で、
1部の中島みゆきさんは録音。2部の上柳さんも録音にして、スタッフみんなで飲みに
行こうという話だった。有楽町界隈ではお盆休みの店も多い。当時ADの菅原くんと、
マンタロウくん、構成の関さんと揃ったところで、なんだか報道の動きがあわただしい。
どうやら日航機が行方不明になったとのこと。
中島みゆきさんのマネージャーから電話。「オープニングで帰省で飛行機を使う人も
いて空港は大変という部分があるからそれは不適切では」という確認だった。しかし
夜9時前には飛び続けていても燃料がなくなる時間となり、その行方が絶望的になった。
そこで深夜1時から5時までを「報道特番」にする事が決定。とにかく飛行機の行方を
追うため、あちこちに電話をする。といってもその時点では「長野県の相木村」に
墜落したと思われていた。
全く手がかりはない。まずは乗客名簿を読もう、ということになり、電話番号と
カタカナで名前が入った名簿を入手する。えっ、坂本九さんが、宝塚の北原遙子さんが、
そしてタイガースの中埜球団社長が…。弁当の手配をする報道のバイトくんの横で、
選曲をするがサザンをかけるわけにはいかず、それなりに知っているクラシックでも
アイデアが浮かばない。
電リク体制で、知人の安否情報を受け付けるという特番は、淡々と4時間が進行。
印象に残っているのは「アパートのとなりに住んでいる知人が帰省するといっていて、
名簿にあった可能性があるのですが…」という話。これから名簿にある電話番号に
コールするから、そして「となりの部屋から聞こえます」。絶句だった。
番組が終了し予想外の長時間労働でも飲みにもいけず、すっかり朝日で明るくなった
制作のフロアにテレビがついていた。ヘリコプターからの映像が御巣鷹山に墜落した
JAL123便を捕らえていた。無力感。自宅でもニュースを見る気にもなれず、生存者が
いたらしいと昼過ぎに起きて知ったのだった。

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