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August 2013

28年前の123便

28年前の今日も月曜日で暑い日だった。オールナイトニッポンの担当だった曜日で、
1部の中島みゆきさんは録音。2部の上柳さんも録音にして、スタッフみんなで飲みに
行こうという話だった。有楽町界隈ではお盆休みの店も多い。当時ADの菅原くんと、
マンタロウくん、構成の関さんと揃ったところで、なんだか報道の動きがあわただしい。
どうやら日航機が行方不明になったとのこと。
中島みゆきさんのマネージャーから電話。「オープニングで帰省で飛行機を使う人も
いて空港は大変という部分があるからそれは不適切では」という確認だった。しかし
夜9時前には飛び続けていても燃料がなくなる時間となり、その行方が絶望的になった。
そこで深夜1時から5時までを「報道特番」にする事が決定。とにかく飛行機の行方を
追うため、あちこちに電話をする。といってもその時点では「長野県の相木村」に
墜落したと思われていた。
全く手がかりはない。まずは乗客名簿を読もう、ということになり、電話番号と
カタカナで名前が入った名簿を入手する。えっ、坂本九さんが、宝塚の北原遙子さんが、
そしてタイガースの中埜球団社長が…。弁当の手配をする報道のバイトくんの横で、
選曲をするがサザンをかけるわけにはいかず、それなりに知っているクラシックでも
アイデアが浮かばない。
電リク体制で、知人の安否情報を受け付けるという特番は、淡々と4時間が進行。
印象に残っているのは「アパートのとなりに住んでいる知人が帰省するといっていて、
名簿にあった可能性があるのですが…」という話。これから名簿にある電話番号に
コールするから、そして「となりの部屋から聞こえます」。絶句だった。
番組が終了し予想外の長時間労働でも飲みにもいけず、すっかり朝日で明るくなった
制作のフロアにテレビがついていた。ヘリコプターからの映像が御巣鷹山に墜落した
JAL123便を捕らえていた。無力感。自宅でもニュースを見る気にもなれず、生存者が
いたらしいと昼過ぎに起きて知ったのだった。

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31年前の自分に再会する

「Mac世代におくるレイアウト術 デザインにルールなんてない」
という本が出版された。ボクは大学生の頃に創刊当時の
雑誌「オリーブ」で編集者をやっていた。その時に
お世話になったアート・ディレクターの新谷雅弘さんが、
DTP以前のノウハウを解説したレイアウト術の本である。
アルバイトではなくて、編集者として扱ってくれたのが
当時の平凡出版。だからこそ怖い物知らずで一人前のつもりで
いたけれど、今思えば堀内誠一さん直系の第一人者新谷さんに、
恐れ多い「リクエスト」をしていたのではないかと思う。
カメラマンと一緒に取材から帰って来るのが夕方すぎ。
写真のポジやイラストの出来上がりと一緒に、編集部のあった
東進ビルの4階から、上のフロアにいる新谷さんをはじめとした
レイアウトのスタッフのところに打ち合わせに行く。
とはいえタイトルのコピーを考え、写真の大きさとリードの文章の
おおまかな字数を話すと、あとはおまかせなのだ。
そして深夜にはレイアウト指定の用紙があがってくる。
ビジュアルにはからきし疎い(だからラジオでなんとかなっている)
ボクは、まるで魔法のようなレイアウトの上がりにため息をつき、
あとは指定された字数を、未明に原稿用紙に書くのだ。そして
原稿用紙やネガやイラストなど、一切合切をポスターが入りそうな
大きな黄色いオリーブの袋に詰めておしまい。早朝、大日本印刷の
人がそれをピックアップしてくれる。
今回の発売にあたり青山ブックセンターの本店で「新谷雅弘の仕事展」
というイベントがあり、事務所の近くでもあり訪ねてきた。
「ポパイ」時代も含めて沢山の新谷さんの仕事の中から、何と
自分が入稿した「オリーブ7号」のレイアウト用紙が展示されている。
壁に貼ってあるのは、他の見開きだったが、全部のレイアウト指定紙が
入った袋も置いてあって、ボクが書いた「アフリカ」の記事の見開き
原本が入っていたのである。31年前の夏の日の朝に出してから、
すっかりその存在すら忘れていたあのレイアウト指定紙である。
それはまるでタイムカプセルを開けたようで、いろんな事を思い出した。
ニッポン放送にいた10年の前に、平凡出版に出入りしていた1年間。
ボクのキャリアの中でとっても濃密な時間で、今もアタマが上がらない
人々がいっぱいいるのである。

201308082021000
イベントは8月14日まで。

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