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January 2018

訃報

1月13日土曜日の朝、母初子が亡くなりました。6年前から高槻市の介護施設にお世話になり、去年1月から特養に移ってほぼ1年間、死因は老衰で享年88歳でした。16日に親族のみでお別れをし、荼毘に付しました。翌17日には生前からの希望でボクが生まれる前に亡くなった、祖母小原ハマノと同じ京都西本願寺の大谷本廟に納骨、親鸞聖人のもとに旅立ちました。供花香典についてはご辞退しましたし、今後もお気持ちのみを西本願寺に向けていただけるとありがたいと存じます。
ここしばらく関西に行くのは母のことがメイン。特に夏に一度体調を崩して以来かなり衰弱し、施設からの電話にびくびくしながら過ごしていました。穏やかな正月が一段落したところでの最期。離れて暮らすようになってかれこれ40年。東京の食べ物には口が合わず、関西で一人気ままに過ごしていた時期が長かっただけに、今までよかれと思ってやってきたことが、どうだったのかよくわかりません。そして入所のため実家を畳んでからは、いつかこの日が来る、ということがどこか頭から離れず、正直なところ気が重い日々でした。
昭和一ケタ世代だからなのか、モノに対する執着心が強く、しかも何でも取っておく。実家を畳む時にあんなにバサバサ片づけたのに、それでもトランクルームを借りざるを得ず。今は必要書類を探し出したり、手続きが精いっぱいで、当面整理が続くことになりそうです。もともと看護師の資格を陸軍病院で取り、企業の診療所などで働いていたのですが、子供の頃から聞かされていた、いろんなあいまいな話が、事実を記載した書類やメモからクリアになっています。今際の際まで手元に取っておいたものが、まるでタイムカプセルを開けたように出現し饒舌に語りはじめるかのよう。とはいえそこでどう思っていたのか。理路整然とした文章、感情をぶつける文言のいずれも書く人ではなかったので謎のまま。それはそれでよいのかも知れません。
ボク自身は物心つくかつかないかの時期に父方の祖母と祖父が亡くなり、葬式や法事で説法を聞くことが多く、今回のことで当時から培われた自身の死生観を再確認しました。「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」という浄土真宗中興の祖蓮如の言葉で、自分に叩き込まれたようなフレーズです。形あるものははかなくも消えるという「無常」を説いた言葉だが、先に逝くものが残されたものに命がけで教えることで、それを嘆き悲しむのではなく、教えてもらったことに感謝し精一杯今を大切にする。半世紀前と同じ説法だと思うのだけれど、還暦も近い歳になったことで少しは実感を持って理解することができたのかも知れません。

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いきなりステーキを考える

密かにステーキハウスをやりたい、と思っていたが、なかなか踏み出せないうちにその夢が砕け散る店が現れた。それが「いきなりステーキ」である。肉焼き職人はシニア層をあえて雇うそうだ。若いシェフが焼いているより、おいしそうに見えるから、というのがその理由だとか。そして技量は問わず素人でいいのだとか。確かに裸火で焼く分には牛肉の部位も少ないバリエーションの単一メニューだから、数さえこなせばすぐに上達するはず。もちろんフライパンや鉄板を使うとなると事情は異なるが、個人的なベスト3の店だって、ヒスパニック移民がグリルの上で肉を裏返していた。アメリカのステーキハウスでよかった店は、基本的にサービス・スタッフも含めて年齢が高い気がする。IIIForksのような、モデルのようなおねえさんがいる店は何だか落ち着かない。客から見えるスタッフのキーマンは白髪交じりの男性に限るし、トイレのBGMはシナトラが似合うというのがある種定番というのがボクの考えだ。
日本でそれをそっくり真似をしようとしても受け容れられないだろうと思っていたところに現れたのが「いきなりステーキ」。チェーン展開までして果たしてうまくいくのか、というのは全くの杞憂で、こういうディテールがポイントとなっていたようだ。もちろん賛否両論はあるけれど、最低限をクリアしていない店も多い中、対価を考えると十分評価に値すると思う。ただ熱い鉄板で供されるのは、個人的にシズル感がそがれる。でも白いオーバルの皿だと、コストがあがるに違いないのだろう。そんな徹底的なストラテジーを前に、個人的な思い入れで飲食業に手を出したならば、火だるまになるだけだった。やっぱり「餅は餅屋」「ステーキはステーキ屋」、食べるだけでああだこうだ言うのが一番だ。

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