リトマス試験紙か踏み絵かで悩む
【ラジオデイズ】
翻訳のプロではないし、ましてやネイティヴでも海外在住期間もないボクだが、英語のインタビューがある番組を長年担当しているうち、リスニングとかディクテーションが少しはできるようになった。今朝の番組では2007年のヴァージニア工科大学銃乱射事件を受けて設立された「平和研究・暴力防止研究所(=Center for Peace Studies and Violence Prevention)」所長のジェームズ・ホードン(James Hawdon)氏へのインタビューで、なぜトランプ前大統領支持者がかたくなにフェイクニュースを信じるのか、というテーマだった。
先の大統領選挙の結果は投票で不正があった、というトランプ陣営の主張を拡散して、ウソを塗り固め再集計を求めていく人々は、ほんの小さな(あながちウソとも言えないくらい) 真実のかけらから、都合のいい尾ひれをつけていくからだという。SNSはアルゴリズムによって、自分の興味に関連する、広告や記事をどんどんと提案してくる。だから深みにハマればハマるほど真偽の定かでない、そして明らかに間違った情報がその裏付けとなる。マスメディアを信じない人々が増えたここ数年の傾向に、Twitterで次々と発信する政権トップが火に油を注いだ形だ。そしてそれを駆り立てるのは、自分が間違っていないと信じる考えを、同じ考えの人々に強要したり、その輪の中にいることで安心したりする心理だというのだ。
ここでこの現象をHawdon氏は「リトマス実験(litmus Experiment )」という単語を使った。まさに言いえて妙な表現だ。共和党の赤なのか、民主党の青なのかもかけた、洒落た言葉の使い方で、なるほどそういう言い方があるのか、と思わされた。しかし透明な液体が酸性かアルカリ性かを判定する実験は、態度がはっきりしない人を判定すること。ここではなぜ過激に進んでいくのか、という質問に対する答えなのであえて「踏み絵」とした方が適切ではないかと考え、英語のナレーションの上にかぶせる日本語では英語では適当な単語がない表現の「踏み絵」 にした。
しかし「踏み絵」にしたはよいものの、「リトマス実験」という単語も面白い、うーん、どうしたものか。考えたものの、オンエア上ではそうした悩みを表現できるはずもない。しかし精度の高い翻訳エンジンが出てくるにつれ、こうした日本語でも社会背景のことを考えることが減っていくのかとも思う。全くの自己満足なのだが、言葉にはそれを発する背景の思想があるならば、日本史に出てくる「踏み絵」は、やはり英語でlitmus Experimentにした方が通じるのかな、などと考えをめぐらせる。いくつになっても言葉を紡ぐ仕事は新しい発見があって面白い。
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