番組でもいろいろとお世話になっているNYC在住のジャーナリスト津山恵子さんの講演を聞くため、所属していた大学のゼミに参加。トランプ政権とメディアの対峙について、そしてアメリカの新聞、ネットワークなどのメディア事情、通信社での情報収集についての講義だった。ロイターでの速報探知システム「Tracer」は、Twitterで事件を探知するシステムで情報の信頼性のチェックも含め、記事作成のスピードアップと取材手法の革新がなされたという。彼女が勤めていた日本の通信社では、四半期決算のたびに部署総出で会社情報をマニュアルで書き写していたという昔話の逸話も交えて、人工知能によって仕事の効率化と、記者にとって一番大事な取材時間の捻出、という現場の話が興味深かった。このシステムのベースには、アメリカでのTwitterが公の組織も含めた情報発信の道具として活用されていることがある。それらも含めた複数の偽情報拡散の検証作業は興味深い。一方日本でのTwitterはまだ趣味アカウントなど個人発信のSNSという域を出ておらず、そこをニュースソースとすることについて、学生からの疑問提起もあり、実は35年ほど前の自分の就活当時と、日米間のマスメディアのギャップは埋まっていないということを感じさせられた。
ラジオでいえば個人の意見を尊重し、政治色も前面に出し人種など多様な価値観に沿うため多局体制のアメリカと「和をもって尊し」という観点からか、ある種の調和が求められるのか、最大公約数を取ることでマーケットでの優位性を追求するため、マルチチャンネルが商業的になかなか成立しない日本。パーソナリティの個人発信が目的で業務の効率化をはかるためのアメリカのワンマンコントロールに代表される少人数制作体制、経費削減でスタッフを減らす割にはテクノロジーの活用が遅れて生産性が向上せず、働き方改革もなかなか進まない日本。まあ卒業後日本のラジオ局に就職し、どつぷりと日本流に漬かったことで今の自分があるワケで、きっとアメリカ留学を経ても日本で活かすことは学問以外ではできなかっただろう、と思うとやっぱり深く考えさせられるものがあった。

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「食べログ」のカリスマレビュアーが過剰接待を受けていたという記事。おいしいもの好きな周囲で波紋を呼んでいる。
渦中のレビュアーについては面識もないし、そもそも点数で店に行くわけではないので、一般的なメディア論として「批評」と「感想」の違いについて考えてみたい。
ブロガーが接待を受けて問題にならないのに、レビュアーが問題になるのはなぜなのか、というとプラットフォームを自分の名前にしているか、「食べログ」に置いているかの違いから考えなければならない。
いずれも書くことに対する対価は無償なのだが、前者は広告やアフィリエイトなどで収入が見込めるのに対して、後者は運営側から原稿料が支払われるわけではない(と認識している)。
タダで原稿を書くモチペーションは、それをきっかけに収入を得る「文筆業」になるため頑張る、利益供与を受ける、そのどちらかになってしまうわけで、結局そうしたモチベーションを利用して、店舗からの広告収入を得る、というビジネスモデル自体が、そろそろ限界に来ているのではと思わざるを得ない。
「食べログ」は店舗の地図としてのみ利用しているので、レビューを参考にはしない。その理由はレビューが辛口を気取った「批評」をはじめアマチュアの「感想」でしかないものが、大半だからだ。
自分の仕事のひとつ「放送批評」ということでも、「感想」にならないようにひきしめていかなければならないと思う。
小林秀雄の「考えるヒント」の中に「批評」について言及されているのだが一部を引用すると「批評とは人をほめる特殊な技術。人をけなすのは技術ですらなく、批評精神に全く反する精神的態度である」という。件のレビュアーの「けなすレビュー」を、人気者だからということで放置したのは「感想」の寄せ集めでしかなかった、ということだ。
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久々に競馬でもステーキでもないエントリーだ。
大学での専攻はコミュニケーションで一通りのことを勉強し、
限りなく一次情報に近いところで禄を食んでいる立場から
学問的に「新時代」に入った、ということを感じる昨今だ。
政治とメディアについての研究で、必須ともいえるのは、
独裁政権などでの「プロパガンダ(政治的宣伝)」による、
民衆のコントロール。そして「デマゴギー(扇動)」である。
これらは新聞、ラジオ、テレビというマスメディアによって
無知な民衆を都合のよくコントロールし、時には熱狂的に
戦争に突き進んだことが検証され、反省をもって語られる。
20世紀はまさにそういう時代だったといえるだろう。
そして21世紀に入ってインターネットでさまざまな情報が
飛び交うようになり、こうしたマスメディアを使う「操作」は
不可能になったかに思われた。真実は隠されることなく、
ネットのどこかに存在し、それが発掘され拡散される。
ファイアーウォールで情報を遮断することがあったとしても
抜け道でいくらでもかいくぐれるし、サイバー攻撃などは
リスクの一つとしても、誰でもいつか真実を見つけられる。
ところが自分に都合のよい事実だけに触れたいという
欲求は為政者ではなく、大衆の方にあったのである。
SNSをはじめ、自分なりに情報をカスタマイズすれば、
自分に都合の悪い真実には触れることはない。
それを権力がわかりやすい単語にしたのが、タイトルの
「Fake News(嘘のニース)」と「Alternative Fact
(代わりの真実)」というわけだ。民主主義的な情報共有
ではカオスの中から真実を拾い出せない、そのうえに
リテラシーを持たない人々がやはり世の中の多数であり、
そこに旧来メディアへの不信があるので、簡単に世論を
コントロールできる、ということがよくわかる単語だ。
学問的にはひとつの大きな節目として今後も語られるで
あろう時代に突入したことだけは間違いない。
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28年前の今日も月曜日で暑い日だった。オールナイトニッポンの担当だった曜日で、
1部の中島みゆきさんは録音。2部の上柳さんも録音にして、スタッフみんなで飲みに
行こうという話だった。有楽町界隈ではお盆休みの店も多い。当時ADの菅原くんと、
マンタロウくん、構成の関さんと揃ったところで、なんだか報道の動きがあわただしい。
どうやら日航機が行方不明になったとのこと。
中島みゆきさんのマネージャーから電話。「オープニングで帰省で飛行機を使う人も
いて空港は大変という部分があるからそれは不適切では」という確認だった。しかし
夜9時前には飛び続けていても燃料がなくなる時間となり、その行方が絶望的になった。
そこで深夜1時から5時までを「報道特番」にする事が決定。とにかく飛行機の行方を
追うため、あちこちに電話をする。といってもその時点では「長野県の相木村」に
墜落したと思われていた。
全く手がかりはない。まずは乗客名簿を読もう、ということになり、電話番号と
カタカナで名前が入った名簿を入手する。えっ、坂本九さんが、宝塚の北原遙子さんが、
そしてタイガースの中埜球団社長が…。弁当の手配をする報道のバイトくんの横で、
選曲をするがサザンをかけるわけにはいかず、それなりに知っているクラシックでも
アイデアが浮かばない。
電リク体制で、知人の安否情報を受け付けるという特番は、淡々と4時間が進行。
印象に残っているのは「アパートのとなりに住んでいる知人が帰省するといっていて、
名簿にあった可能性があるのですが…」という話。これから名簿にある電話番号に
コールするから、そして「となりの部屋から聞こえます」。絶句だった。
番組が終了し予想外の長時間労働でも飲みにもいけず、すっかり朝日で明るくなった
制作のフロアにテレビがついていた。ヘリコプターからの映像が御巣鷹山に墜落した
JAL123便を捕らえていた。無力感。自宅でもニュースを見る気にもなれず、生存者が
いたらしいと昼過ぎに起きて知ったのだった。
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「Mac世代におくるレイアウト術 デザインにルールなんてない」
という本が出版された。ボクは大学生の頃に創刊当時の
雑誌「オリーブ」で編集者をやっていた。その時に
お世話になったアート・ディレクターの新谷雅弘さんが、
DTP以前のノウハウを解説したレイアウト術の本である。
アルバイトではなくて、編集者として扱ってくれたのが
当時の平凡出版。だからこそ怖い物知らずで一人前のつもりで
いたけれど、今思えば堀内誠一さん直系の第一人者新谷さんに、
恐れ多い「リクエスト」をしていたのではないかと思う。
カメラマンと一緒に取材から帰って来るのが夕方すぎ。
写真のポジやイラストの出来上がりと一緒に、編集部のあった
東進ビルの4階から、上のフロアにいる新谷さんをはじめとした
レイアウトのスタッフのところに打ち合わせに行く。
とはいえタイトルのコピーを考え、写真の大きさとリードの文章の
おおまかな字数を話すと、あとはおまかせなのだ。
そして深夜にはレイアウト指定の用紙があがってくる。
ビジュアルにはからきし疎い(だからラジオでなんとかなっている)
ボクは、まるで魔法のようなレイアウトの上がりにため息をつき、
あとは指定された字数を、未明に原稿用紙に書くのだ。そして
原稿用紙やネガやイラストなど、一切合切をポスターが入りそうな
大きな黄色いオリーブの袋に詰めておしまい。早朝、大日本印刷の
人がそれをピックアップしてくれる。
今回の発売にあたり青山ブックセンターの本店で「新谷雅弘の仕事展」
というイベントがあり、事務所の近くでもあり訪ねてきた。
「ポパイ」時代も含めて沢山の新谷さんの仕事の中から、何と
自分が入稿した「オリーブ7号」のレイアウト用紙が展示されている。
壁に貼ってあるのは、他の見開きだったが、全部のレイアウト指定紙が
入った袋も置いてあって、ボクが書いた「アフリカ」の記事の見開き
原本が入っていたのである。31年前の夏の日の朝に出してから、
すっかりその存在すら忘れていたあのレイアウト指定紙である。
それはまるでタイムカプセルを開けたようで、いろんな事を思い出した。
ニッポン放送にいた10年の前に、平凡出版に出入りしていた1年間。
ボクのキャリアの中でとっても濃密な時間で、今もアタマが上がらない
人々がいっぱいいるのである。

イベントは8月14日まで。
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日露首脳会談後の共同記者会見において、双方の
メディアから2つずつ代表質問が行われ、それに
対してプーチン大統領が不機嫌だったという件。
これについてネット上では昨日と今日で正反対の
風が吹いていた。日ソ中立条約の破棄以来67年、
平和条約が結ばれていない両国間であるからして、
一筋縄にはいかない。だからこそ祝賀ムードに
水を差すという意見は甘すぎる、とは思うのだ。
とはいえ2つめの日本側の質問をした記者に全く
問題がなかったとはいいきれない。
プーチン大統領がいかに機嫌が悪くなろうが、
限られた質問の機会で、多くの人の知りたい事を
代表し質問するのだから内容に悪びれる事はない。
日本国民へのメッセージとしてプーチン大統領の、
あの一言があったとも言えるだろう。冷戦時代に
アメリカと対峙した時代をリアルタイムで経験し
ある種の長期政権築きあげた政治家なのだから、
領土返還に前向きですとは口が裂けても言わない。
でも記者団と相談の上決めた内容で、質問した
本人や所属する会社の意向での質問でないならば、
他の3名同様名乗る必要はなかっただろう。
ただ一人所属と名前を名乗ったのは何故なのか。
例えば石原都政の定例記者会見では、必ず所属と
氏名を名乗る事になっていて、朝日新聞の記者が
厳しい質問をして、石原前都知事が「くだらない
ことじゃなくもっと大事なことを取材しなさい」
という伝統芸のようなやりとりがあった。しかし
今回はNHKでも生中継をしている場である。
全局で中継するようないわゆるジャパンプールの
オリンピック中継で、実況が所属を言ったような
そんな違和感を感じてしまったのだ。
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構想構想段階から様々なトラブルが頻出して、何かと
話題のブロードウェイ版の「スパイダーマン 」。
まだ本公演ではなくて、プレビューなのだが、
怖いもの見たさ半分、期待半分で見ることに…。
一言で言えばまるでサーカスのような舞台だった。
観客の上を飛ぶスパイダーマンと敵。セットは
摩天楼を上から見た奥行きを出しているうえに、
U2が担当した乾いたギターリフなどの音楽が、
雰囲気を盛り上げ、北京五輪の開会式を担当した
石岡瑛子さんのコスチューム・デザインなどなど
見るべきものはたくさんあるのだが…。
「ライオン・キング」を舞台化したジュリー・
テイモアの演出ということなのだが、かなり
ストーリーが弱い。第1幕の誕生ストーリーや、
空中での格闘シーンは想像通りというよりも。
手に汗握る展開。しかし内省的な第2幕と最後の
オチはいったいどうなのよ、といいたいのである。
半分くらいしかセリフが聞き取れないボクが
こういうのも何だが、笑わせようとして、客席が
どうしていいかわからない空気は感じられたし、
終わってからのスタンディング・オベーションも
満席で注目作品というのに、チラホラである。
個人的に一番面白かったのが、前説での「空中を
敵が飛びますが、捕まえないで下さい」という
くだり、というのではどう言っていいのやら。
子供たちも沢山見に来ていたけれども、きょとん
とした感じで、劇場を後にしていた雰囲気だ。
さまざまな歴史と背景を持つ「スパイダーマン」が
ミュージカルならではの起承転結をもって、
ひとつのお話になるのは、難しいのかも知れない。
いっそどんなにそしりがあっても、サーカスにして
しまえばそれはそれで画期的だったかも。
少なくともピーターパンや、ガース・ブルックスの
スタジアム・コンサートにおける飛び方とは違う、
計算ずくのものだったのだけど、落下しちゃった
というのもミソをつけたということかなぁ。
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野球の試合で完全試合がかかった9回2アウト。
27人目のバッターをファーストゴロに討ち取り
クロスプレーでそれを内野安打と塁審が判断。
結果はただの1安打完封勝利となったものの、
ビデオを見た塁審が、それを誤審と認めて後で
ピッチャーに謝罪したとする。
日本ならばテレビニュースで各局がその模様を
流して審判の責任を問い、コメンテーターが
ジャッジの技術云々をメジャーと比較したりし
抗議する監督や選手の声を擁護して、何だか
後味が悪い決着になるだろうと推測する。
実際にこの事件はおととい起こったのである
米大リーグのタイガースとインディアンスの試合。
タイガースのアルマンド・ガララーガ投手が
その「被害者」だったのだ。しかしメディアは
冷静にこれを報じ「ジャッジを尊重する」原則を
崩さず、ガララーガ投手も「誰も完璧じゃない」
と事実を受け入れたのである。驚くべき事に
このフェアプレー精神を称えてゼネラル・
モータースが彼にコルベットをプレゼントした。
よく考えて見よう。正しいか間違いかではない。
記録は覆らないが、審判は過ちを認めて、選手が
これを受け入れ、見事なプロモーションとして、
結果は誰も傷つく事なく、記憶に残る。テレビが
大人の対応をとることで、みんなが得をする。
そんなマーケティングがあるアメリカという国は、
やはり奥が深いと考えさせられた。

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【ラジオデイズ】
政治を語る柄ではないが、政治を語るメディアには
注視していたい。おそらく鳩山首相と小沢幹事長の
「政治とカネ」問題が出てからというもの、政権を
擁護し続けたメディアは「日刊ゲンダイ」のみだろう。
巨悪を暴き、政権の暴走を監視するのがメディアの
使命である、というのは原理原則なのは百も承知。
長年続く自民党政権の時にはその理屈でよかった。
それを追い落とす前に「シャドウキャビネット」を
建てていても、やはり野党と与党では立場が違う。
そこを従来通りの正義感で引きずり下ろすならば、
どうして小泉内閣の大きな矛盾に目をつぶったのか。
また石原都政のレイムダックに苦言を呈さないのか。
基地の是非を根本的に問う事も、対案を出す事もない
ままに、普天間基地移設問題を「首相の言葉が軽い」
ですませてしまい、八ッ場ダム問題を長引かせて
きたのは、全てのメディアが同じ論調だったから
ではないだろうか。この国の不幸は首相が替わる
という事ではない。テレビの立ち位置が宙に浮き、
多様な議論を経た上での世論を醸成できない事だ。
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毎年恒例のギャラクシー賞。45回を重ねますます
ショーアップされてはいるものの、あくまで主役は
作り手である。タレントさんが制作者の応援に来て
ある人は壇上に上がり、ある人は最後までスタッフと
パーティで語らうのみ。93歳の市井の出演者が
応援に来たり、遅ればせながら現われたトットちゃん
が花束贈呈など、演出しないサプライズがいっぱい。
今年のラジオDJパーソナリティ部門の青山高治氏は
たまたま去年民放連の中四国地区審査会で個人的に
高い評価をしていた「秘密の音園」の番組をやって
いる人で、現委員の慧眼に感謝。ついでに贈賞式後に
東京支社からの生放送のスタジオに、祝い酒を持って
押しかける。このあたりがラジオのフットワークだ。
というかこのノリが自分からなくなったら、ラジオ
からは引退しないといけない。というかラジオは
93歳でも地方から表彰会場にやってくるような、
そんなフットワークの上に成り立っている。
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